8月10日
朝起きて、のそのそとご飯を頂く。ご飯といっても牛乳とビスケットとエスプレッソ。イタリア人の朝食は大体こんなものらしい。以前ミケーレは、朝飯を食べると良くないと言っていたが、まだそうなのか?と聞くと、今はちゃんと食べているようだ。だが、お母さんのスンタはほとんど食べないらしい。起きて胃にものを入れるのは体に悪いという考えなのどうかは分からないが、エスプレッソを飲むぐらいのようだ。
ちなみに牛乳の他に、大豆の豆乳と向日葵の豆乳というパックがあったが、向日葵の豆乳を試しに飲んだらくっそまずい。ミケーレになぜ豆乳を飲むのか?と聞いたが、まあ習慣だと言うあやふやな答えが返ってきた。
エスプレッソは沸かしたホットの他に、既に作りおきでペットボトルに詰めて冷蔵庫で冷やした物もあった。夏場はこうしているらしい。


朝ごはんを食べたあと、ミケーレたちが2歳になるジュリオくんの日用品を買いに街まで行くので一緒に来るか?と言うので、海で泳ぐための水着も買うということになり、車に乗って四人で出かける。
バーリの中心街プティニャーノに行き、bioと書かれたスーパーでジャーダさんがおむつを買いに入った。bioとは多分有機の製品を扱ったもので子育てに気を使っているのかな?と思った。

その後プティニャーノ中心地を少し散策。チェントロ広場に来るとレストランに寄った。ミケーレが小さい頃からよく行ったレストランらしく、顔なじみの店主に挨拶をする。明後日の夜に我々はここで食事するらしく、その予約をしに来たらしい。店主とその奥さんが出てきて、世間話となる。話はミラノ万博の話になり、今回のテーマは食なので、やはり店主は見に行くと言っていた。ミケーレも万博のチケットを既に持っているらしく、九月頃行こうかと言っていた。その後チェントロの教会を見てからひとまわりして、プティニャーノを後にした。




細い家。ミケーレいわく、これだけ細いと壁が厚いので中はもっと細いとのこと。廊下なんかないのではと思った。

その後、郊外のショッピングモールに車で移動した。
ショッピングモールはよくあるイオンのショッピングモールのような感じで、とりあえずジュリオくんのおもちゃを買う。スマホタブレットをとてもいじりたがるので、それに代わるようなおもちゃや小さなビニール製のプールを購入。
水着は、よくあるイタリアの衣料チェーンOVSやスポーツショップ デカトロン、ヤママイなどを見るがどこも高くやめた。見ていると男性用にいわゆるブーメランパンツというきわどい水着も売っていて、ミケーレにこれはありなのか?と聞くと、普通じゃないがこの辺じゃはいている奴もいると、笑っていた。後日、実際にイタリア国旗カラーのブーメランパンツはいた野郎を見るのですがね。


買い物を終えて家に戻ると、庭のバーベキューグリルで親父さんがタコを焼いていた。昼ごはんはこれを食べたのだが炭火焼のタコはとてもうまい。下味もちゃんと付けているようだ。

ご飯を食べたあとは、ミケーレとカスッテラーナ鍾乳洞を見に行くことになった。ジャーダさんはジュリオくんがお昼寝中なので留守番で、二人で出かける。
カステッラーナ鍾乳洞はイタリアではかなりの大きさの鍾乳洞で、入場券を買って入場。
コースは1kmの短いコースと3kmの長いコースに分かれている、今回は3kmコースをチョイス。入口では列が出来ていて我々も並ぶ。


しばらく待つと扉が開きみんな入場していく、どうやら時間ごとにまとめて入場させるらしい。チケットは自動改札に通すのだが、何故か自動改札に係りの人がいてその人に渡すと改札機に通し入場できる。自動改札の意味がまるで分からないが、テクノロジーはあるがシステムがおかしいイタリアらしい。
階段を下って行くと鍾乳洞に入った。鍾乳洞の最初の間は上部に大きな穴が空いており光が差し込んでいる。下から見上げると大地にポッカリ穴があいているような気がする。


写真が撮影できるのはここまで、その後はガイドの説明が始まり中へとみんなで進む。

日本の鍾乳洞でもそうだけど、色々な形の鍾乳洞を蛇の口だとか、ピサの斜塔、マリア様などと説明がある。2時間ほど掛かるとの話だったが、結構面白くほとんど退屈することなくよかった。
外に出ると日本の旅行ツアーの団体の人たちがいた。南イタリアツアーなのだろうか、このあたりだと、トゥッリの街アルベロベッロマテーラの洞窟住居などを回るのだろう。我々も後日行くこととなる。


家に戻ると、近所の住民のフランチェスコがミケーレの両親と話をしていた。フランチェスコはミケーレの親父さんと同じぐらいの歳に見えるが、独身の一人暮らしらしい。
夜は、隣の隣にあるミケーレの親戚のレストランで夕食を食べに出かけた。ミケーレの両親がさそったので、フランチェスコも一緒である。

席に着くと親戚の店主が挨拶に来て、あれよあれよよと話が決まってどんどん皿が運ばれてくる。皿がテーブルに乗らないので、皿の上に皿がのせられる状態だがみんなでどんどん平らげていく。
はっきり言って、多すぎて何を食べたか覚えていない。


デザートには、スポルカムーゾというパイ生地にカスタードを包んだお菓子が出た。プーリアの名物料理らしい。スポルカは汚す、ムーゾは口周りという意味。非常に美味しい。

食べまくって、帰ってイタリアの蒸留酒グラッパを飲んで寝た。お母さん曰く、グラッパは消化に良いとのこと、ホントかよ。
8/11日につづく

2015年8月8日から16日まで休暇を取り、イタリア人の友人ミケーレの実家プーリア州のバーリに遊びに行くことになりました。場所的にはイタリアのかかとの付け根辺りになります。
日にちごとに分けて、日記形式でここに書きます。


8/8日、出発。富山→羽田→
富山空港を夕方18時にANA便で出発。

羽田で乗り換えエールフランスの受付で搭乗手続きをしたら、持っているお金をほとんどユーロに両替して出国手続き、免税エリアで夜飯に六厘舎のつけ麺を食べたら、出発までぶらぶらして待つ。23時にパリに向け、羽田を出発。


8/9日、到着、早速トラブル。→パリ→ローマ→バーリ
12時間以上というハードな移動を終え朝4時半にパリに到着。次は7時にローマに向けて出発だが、朝早すぎて空港内の店がほとんどやっていないので、椅子に座って何もせず出発を待つ。Wi-Fiが使えるので、暇つぶしにiPhoneよりfacebookに書き込む。7時にローマに向けパリを出発、今度の飛行機はアリタリアだった。


朝9時にローマに到着。
14時半のバーリ行きに乗り換えだが、荷物受け取り場でスーツケースを待っていたが、いつまでも来ない。周りを見ると同じ便で来たと思われる他の日本人の方々も荷物が来なかった様子。みんなぞろぞろとアリタリアの荷物受け取り場の受付カウンターに向かうので、自分もついていく。
並んでるオバさんたちに話しかけるとやっぱり荷物が届いていないのだそうだ。4年前にエールフランスを使ったときは4日遅れで荷物が届いたとも言うから、旅慣れている人たちらしいが、それを聞いてエールフランスの信用度がガタ落ちである。
十人ぐらい日本人がいる中で一人の女の人がめちゃくちゃイタリア語が話せているようなので、その人にも話しかけて情報収集。どうやら荷物は次の便で来るが、ここで待っているかそれとも滞在先に送ってもらうか決めなくてはいけないらしい。ちなみにこの女性もエールフランス乗り換え便では良く起こることだと言っていた、エールフランスのイタリア便は鬼門らしい。
受付のイタリア人と話すと荷物を待っていると乗り換えのバーリ行きに乗るのが難しくなるというので、荷物はミケーレの家に送ってもらおうと思った。しかし、ミケーレの家の住所が分からないし、電話しても繋がらないので、あとで受付からミケーレの電話番号に連絡してもらうようにした。
オバさんたちは空港で待つことにしたらしい。
受付からはアリタリア特製のお泊まりポーチセットをもらった。中にはTシャツと歯ブラシセットなどが入っていた。荷物が届くまでこれでしのいでくれとの意味らしい。


早くも疲れた、乗り換えの次の飛行機までに何か昼ごはんを食べようかと思ったが、空港内の出発ロビーに飲食店があまり見つからない。唯一バールがあるが人でごった返していて、座れずにカプレーゼを食べる。というか、バカンスシーズンで空港内は人が溢れかえっている。


バーリ行きの搭乗口に行くと何となく南イタリア人で溢れかえっているような雰囲気があり、まだ受付時間前なのに列を作っている人たちを見ると何となく不安にかられて自分も並んで待つことにした。ここから先は何が起きても不思議ではない気がしてくるのである。手持ちのリュックにも気を配る。
14時半、定刻通りバーリに向けてローマを出発、もう一度アリタリアである。
前の席に三人日本人の女性が座っていた。特に話しかけるわけでもないが、一人の40代の人はバリバリイタリア語を話す、格好も日本人ぽくないところを見ると現地の人と結婚して、今回はお姉さんとその娘をイタリアに招待したのでは?と想像してみる。日本人女性の現地への順応性の高さはいつもすごいと思う。

15時半に無事にバーリ空港に着くとミケーレと奥さんのジャーダさんが息子ジュリオを連れて待っていた。新婚旅行に日本に来て以来、3年ぶりの再会である。
ミケーレにスーツケースのことを伝えると、とりあえず空港の窓口に問い合わせようと言うので行く。窓口には先客がいてイタリア人のおじさんが一緒にいるインド人の荷物について問合わせているようだった。ミケーレいわく、あのインド人はもう一週間も荷物を待っている、と言う言葉を聞きイタリアに来た気分になる。
結局、荷物はバーリ空港に届けてもらうようにして届いたら取りに行くことにした。ミケーレは、家に届くようにしたら余計手間取って受け取りが遅れる恐れがある、とのこと。ここは南イタリアだぜ?とミケーレは言った。
荷物は既にローマに着き、明日の昼頃の便で届く予定のとのこと。


空港を出て車でミケーレの実家に行くと、ミケーレの父親カルメロと母親スンタが待っていた。7年ぶりの再会。
この家は父親の故郷に老後用に買ったもので、この地方伝統の建築トゥルッリ付きである。これから5泊、自分は離れのトゥルッリに寝ることとなる。


お父さんはもう退職して年金生活だが、お母さんはまだミラノでクリーニング屋をやっている。今は夏季休業で7月から8月までここで過ごすらしい。
ミケーレたちは数日前にここに着き2週間弱いるらしい。バカンス休暇は3週間だそうだ。
荷物を置くと、スンタがお腹減っているか?と言うので、うんと言うと、パルミジャーナ ディ メランザーナと言うものを出してくれた。なすとチーズ(パルミジャーノとモッツレラ)をトマトソースに絡めて小麦粉と卵で固めて、揚げて焼いたものらしい。タルトのようでもあるが、料理の知識は皆無なのでテキトーなことを言ってはいけない。ナス好きには堪らない。

その後、プーリア名物のパンツェロッティという揚げパンの話になり、これは是非とも食べていかなければいけないとの話になったので、買いにバーリの中心街プティニャーノへミケーレたちと車で行く。
プティニャーノはよくある丘の上にあるようなイタリアの街であり、上へ行けば行くほど中心広場に近くなる。
パンツェロッティが売っているパスティッチェリアに行って人数分買うと、今度は地元の友達と会うが良いか?と言うので、バールに行く。
バールではミケーレが小さい頃夏によく遊んだ幼馴染マリアが旦那と子供を連れてやってきた。よく喋る人でほとんど彼女が喋り倒してみんな聞いていた。人はとても良さそうだが。対照的に旦那は落ち着いた寡黙な人だった。

家に帰ると、夕食となった。みんなでさっき買ったパンツェロッティを食べる。半月上の揚げパンにトマトソースやモッツァレラチーズが入っている、まわりはサクサクなかはトローリ、カルツォーネを揚げたようなものだ。
他に魚のグリルとワインを飲んで、寝た。
8/10に続く。。。

パリで乗り換え

朝にパリに着いたので、これからローマ行きに乗り換えます。
正直、英語がまともに喋れないし、フランス語も話せないのでどうしたものかと思ったけど、コミュニケーションで大事なのは伝えることよりも話すことだと気づいたので、イタリア語で喋ってます。
まあ荷物検査のゴタゴタぐらいなら日本語でも大丈夫な気がします。

これからパリ→ローマ→バーリです。あと7時間ぐらいか…家を出発して24時間ぐらいたっているなぁ。

短期、裏のイタリアにいます、復活

来週の土曜から9日間、イタリアに行ってきます。
今回はローマから入って、すぐさま踵の付け根のトゥルッリで有名なプーリアのバーリに飛んで、ミケーレの実家でお世話になります。
だいぶイタリア語忘れたのでこっそり勉強していましたが、もともとそんなにしゃべれるほうではなかっと気付いたので安心しました。
言い回しとかやっぱり日本語と違いますね、busuuというアプリの無料分を使ってやっていましたが、作文では現地のひとが添削してくれるという仕組みが良かったです。

自転車が盗まれた

アパートの駐輪場に置いといた折りたたみ自転車が盗まれた。
とても悲しい。
盗んだヤツには、その自転車に乗っているときに前輪が外れて、前歯4本と鼻の骨が折れるぐらいの天罰が下ればいいと思う。
そして盗まれた俺には、とてつもない幸運が舞い降りれば良いと思う。

ブリヂストンのCMは日曜日の夕方

最近タイヤのブリヂストンのCMが日曜日に良くやっているような気がする。
企業のサイトを調べてみると、やはり日曜日ははずしてない気がする、しかも夜だ。
http://www.bridgestone.co.jp/corporate/cm/
J-WAVEでも日曜日の夕方にピストン西沢ブリヂストン提供の番組をやっている。
たぶん、週末クルマで出かけたユーザーにドライビングの感覚が体に残っている日曜日の夜のうちにタイヤのCMを見せてタイヤを意識させる方法だと仮定した。