おれは権現 (講談社文庫)

おれは権現 (講談社文庫)

この前買った司馬遼太郎の本が面白い。トリノの本屋で「果心居士の幻術」と「おれは権現」という文庫を手に入れたのだが、もうすでに「果心居士の幻術」のほうは読んでしまった。少しずつ読もうと思っていたのに、この分だと、「おれは権現」ももうすぐ読み終わってしまう。試験前に何しているのだか。ああ本当に世間が許すなら、歴史小説だけを読んで一生を過ごしたい。


たまに、トリノのポルタヌォーバ駅近くに怪しい人だかりがある。覗いてみると、親父が台の上で逆さにした三つのコップを並べ、中に1個の赤い玉を入れくるくると入れ替えている。それに興じて周りの人が、一口50ユーロでどのコップに玉が入っているか賭けているのだ。

トリノに来て初めの頃、同居のスイス人、日本人、おれの三人で街を歩いていた時これを見かけた。物珍しさに見ていると、親父がコップを左右に入れ替える隙に親指で押さえつけながら赤い玉をコップから引き出し、また別のコップにすり替える様子がよく見える。赤い玉は柔らかいスポンジのようなもので出来ているようだ。しかし周りの客たちは見た感じ興奮しているのか、当たらない。見ていてもどかしくなるほど、まんまと騙されているのだ。

一緒にいたスイス人が「簡単だ、見えてるじゃないか」と言ってきた。しかし、なんか怪しい。どう見ても状況が怪しいのだ。何故こんなバレバレのインチキに、みんな引っかかっているのだろうか。そう考えている間も、目の前でバンバン50ユーロの紙幣が行き交いする。そのうち親父がおれたちに声をかけ、「50ユーロ賭けろ」と言ってきた。財布には確かに50ユーロぐらいあるが、あまりの怪しさに「50ユーロも持ってない」と答えた。

そう答えるとなんかその場には居づらい雰囲気になり去ったのだが、その後スイス人が「何故賭けなかった、簡単だろう」と言ってきた。「だったらお前がやってこい」というと話はそれっきりになった。こいつはこういう性格なのだ。大口だけ叩いて一人では行動できないという絵に描いた小心者だとは、後々気づくことになる。

その後何回かこの集団を見たのだが、遠くから眺めてみるとあることに気づいた。客の何人かは時たま、ちらちらと周りを見ているのだ。要するにサクラである。全員がグルで、引っかかるヤツを待っているのだろう。多分引っかかったヤツが賭け出してからしばらくすると、親父が本気を出し本当に玉がどこに入っているか分からなくなるのだとおもう。観光客がトリノに降り立つ駅前という場所も、そう考えるとうなずける。


と、小説風に今日はまとめてみました。こういう商売?は他の場所でも的屋のようにあるような気がするのですが、イタリアに来て興味がある人は一回試してみてください。


・濃度 densita
・分類 classificazione(女)
・縮小 riduzione(女)