スポーツ悲劇の美学

今日テレビをつけていたら、高校生がダンスをしていて、ある選手が右手を怪我しているのだがそれを克服して技を決めました、と言っていました。
甲子園投手の悲劇みたいなので、アメリカだったら叩かれるなと思ったのですけど、あることを思いました。


なぜ怪我を押して出る選手が賞賛されるのか、何となくスポ根漫画的根性やみんなのために頑張るみたいなことが背景にあるのかな?と思っていましたが、自分の感覚の中にある決定的なものに気付きました。
それは、面白いのです。
怪我している選手がプレーしている試合は、エンターテイメントとして面白いのです。

怪我をして出ている選手には感情移入がしやすく、いつダメになるかわからないリスクのハラハラ感、またはそれを克服した時の達成感、そう言ったものを包括してストーリーができるのです。
視聴率も取れるでしょう。


それはマスコミも薄々気づいているし、選手の周りはその状況を実は楽しんでいるのでは(本人たちは気づいていないけど、心の奥底には傷ついた選手に関わるという自分に酔っている)…と、ここまで行くと妄想の領域なので、やめておきましょう。


まあ、みんなスポ根漫画みたいな、試合が見たいんかな。
でも本当は周りがやめさせてあげるべきでは。
故障したらそれで終わり。