ローマへ行った

 イタリアの田舎道、ローマから北に行った湖畔の近くを一人の日本人が、安物の麦藁帽を被って歩いている。頭の上には炎天下の日差しが降り注いでいて、さっきから汗が止まらない。どうもこのあたりは別荘地のようだが、土地が広すぎて人っ子一人見かけない。しかしさっきからどうも道が違うような気がする。道を聞きたいのだが、歩いてる人などいない。周りは草原や木ばかりなのだ。
すると前から一台の三輪自動車が来た。そうだ、停めて道を聞こうと思いつき道の真ん中に出るが、アホズラした親父が笑いながら避けていった。コンチクショウ!何でイタリア航空博物館なんて見たいと思ったんだろう。


そもそも今回の二泊三日ローマ旅行、最初にケチが付いたのは朝ペルージャ駅に行ってからだった。隣のクラスの日本人で、クレモナのバイオリン学校に行こうとしているヒデオさんと、7時20分ローマ行きの電車で行こうと待ち合わせをしたのだが、行ったらその電車が無かったのだ。駅員に聞いてみると、なんか日曜だけだといっている。時刻表を見てもそんなことは一切書いていないが、無いものはないのだ。よって、とりあえずフォリーニョ行きの電車に乗って、そこで乗り換え、ローマにやっと着いたのが、12時近くだったのだ。予定してより、二時間近く遅れての到着だった。

 さて、ローマに着いてからヒデオさんは今夜の宿を探しに、自分は予約していた宿を確認しに別れ、またあとで落ち合うことにした。しかし、宿に着いてみるととんでもないことが発覚。なんと部屋がダブルで予約してあったのだ。あれほどシングルと受話器で叫びまくったのに。宿主のババアは、私は知らない、兄弟がこれを書いたのだからとカレンダーのメモを指す。見ると二日間70ユーロとしか書いていない。シングルの部屋の値段が35ユーロ、だから多分兄弟は二日間トータル70ユーロと書いたのを、彼女は70ユーロの部屋二日間と間違えたのだろう。しかし、ほかにシングルの部屋はないし、一泊70ユーロという。仕方が無いので、払えないと言い、新しい宿を探しに出た。「TOKIO」なんて名前の宿だが、日本人にはやさしくない宿だった。
 その後は、宿を次から次へと渡り歩くが大体シングルは無く、あっても高い。しかし、やっと何軒か目でエアコンなし40ユーロという部屋を見つけて、やっとそこに落ち着いた。
その後またヒデオさんとローマ・テルミニ駅で落ち合い、お決まりのローマ観光名所めぐりをして初日は過ぎた。

 さて二日目、今日は念願のブラッチャーノ湖ほとりのイタリア軍事航空史博物館に行く日だ。ヒデオさんとは昨日の夜別れ、今日は単独行動。朝起きると、宿の親父は受付にいて、朝食にパンを三つでも四つでも食って行けという。
さてこの博物館、以前ネットで調べた情報ではヴァチカン近くの地鉄駅、レパント駅からブラッチャーノ湖行きのバスが出ていて比較的簡単にいけそうな感じだったのだが、昨日下調べをするとすでにそのバスは無く、隣の地下鉄駅フラミーニョから電車に乗り換えてサクサ・ルーブラ駅に行き、そこからバスで行けと言われた。ネットの情報が古すぎたのだ。
 仕方が無いので、そのようにしてサクサ・ルーブラ駅に行くが、バスの路線がまるで分からない。その辺で立ち話をしているバスの親父たちに、博物館に行きたいことを伝えて教えてもらうが、どうもあと二時間近く待たないと来ないらしい。しかし、湖の反対側行きなら今出るという。歩いたらどれくらいだと言うと30分ぐらいとの答え。それならそうするということで乗り込み、バスはローマの北の田舎道をひた走りだした。

 一時間近くバスは走ると、運転手がここだと言ってバスを停めた。しかし湖など見えない。彼曰く、すぐそこの道をまっすぐ行って右に曲がると博物館にいけるといっているらしい。それならと礼を言ってバスを降り、その道を歩き始めたのだ。しかし、今日は暑いな。
 しばらく行くと道は、まっすぐは細い道、主道は右に折れ曲がっている。多分ここを右に曲がるのだろうと思い、歩き出したのが間違いだった。行けども行けども湖は見えてこない。だんだんと不安が積もってきて誰かに聞きたいが、誰もいない。挙句の果てには車を停めて聞こうとして、親父に笑いながら逃げられる始末。仕方が無いので、一度引き返してみようとさっきの分かれ道まで戻ると、自転車二人乗りの親子が通りかかったので、停めて聞いてみた。すると彼らは英語しか出来なかったが、この細道を下れば湖に着くよと教えてくれ、イタリア人より親切だなと思い、礼を言いその道を行くことにした。

 さて、下っていくとやっと湖が見えてきた。確かにそんなに大きな湖ではないが、今の徒歩の自分には十分すぎる大きさだ。確かこの向かい側だって言っていたよなと思い、湖に沿って歩くがぶっ倒れそうだ。こんな炎天下の中歩いてる馬鹿なんて一人もいない。ああ、アホな東洋人だな思い歩くと、ますます不思議な気がして来た。
 足も痛くなってきたし、もしアキレス腱でも切れたらどうするかなとか思いながら歩くが、まあいまさら考えても仕方が無い。ここまで来ると維持というより、思考停止状態という感じで足だけが動いているのだ。
 しかし、一時間近く歩いた頃だろうか、ようやく博物館の看板が見えてきて、ついに入り口にたどり着いた。入り口の坂をを降り受付の建物に近づくと、中にイタリア人の若い兄ちゃんが机に突っ伏して寝ている。ボンジョルノ、と声をかけるとあわてて彼は起きた。多分彼も軍人なのだろう。ここは軍の博物館なのだ。よって入場もタダ。その後、パスポートを見せ入場券をもらい中に入ろうとするが、その前に帰りのバスを調べておいたほうが良いな考え、兄ちゃんに時刻を聞くと、後は13時40分のひとつだけだと教えてくれた。今は11時過ぎだから、二時間以上は見れる計算になる。

 さて、中に入るとなにやら格納庫を改造したような建物に、ジェット機などが置いてある。そういえばこんなに近くで、戦闘機見るの初めてかなと思ったが、だいぶ疲れすぎて何の感想も出てこない。
 だが、今回のお目当てはこういう近代の戦闘機ではなく、1920年代の飛行艇なのだ。そうあの紅の豚のような飛行機を見に来たのだ。
その後どんどん建物を奥に奥に進むと、飛行機の年代がどんどん古くなっていくのが分かる。実はあまり飛行機には詳しくないのだが、変な形の飛行機なんかは見てて面白いし、機械を見てるのも楽しい。しかし、機関銃のところとか見ると、やっぱり冷たい感じがするな。
 さて、3番目の薄暗い部屋に入ると、ついに真っ赤なボディーの飛行艇が四機並んでいるのが見えた。そうこれが見たかったのだ。これらの飛行機は、紅の豚のポルコが乗っていた飛行機とはだいぶ形が違うが、それでも機体の形が美しい。ちなみにポルコの飛行機は宮崎駿の創作で本当は存在しない機体です。似たのはあるけどね。
えっとさて、資料が無くてうろ覚えなのですが、1920〜30年代当時イタリアでシュナイダーカップという飛行艇のレースがあって、各国が威信をかけて競い合っていたらしいのですが、このレース3回連続優勝するとトロフィーを永久に保持できるというルールがあるのです。そこでついにイギリスがリーチをかけたのですが、イタリアは祖国の意地をかけて当時最速のこの飛行機(多分一番手前にあったマッキMC72)を作りだしました。しかし、結局レースはイギリスに優勝を許し終わりを迎えたのでした・・・いや、なんかほかにもいろいろ話があると思うし、もしかしたらだいぶ間違えている気がしてきた。興味のあるかたがたは自分でネットで調べてみてください。うん、とりあえずロマンなんだな。テキトーにまとめてみました。

さて、その後ボケーと飛行機を見たり、外の飛行機の下で昼寝をしていたら、いつの間にか13時を過ぎていた。そろそろ行ったほうがいいかなと思い、門の兄ちゃんに挨拶してさっき教えてもらったバス停のほうに行くと、困ったことがおきた。道が三叉路になっていたのだ。兄ちゃんは交差点があるとしか言っていなかった。しかし道は三叉路、これではどこからバスが来て、どっちにバスが行くのか分からない。しかもバス停も見当たらない。いっそのこと三叉路の真ん中で待とうかと考えるが、日差しが強すぎてとても耐えられない。そこで標識を見て、ローマ方面の道に立ってみた。
しかし、バスが来ない。時間道理にバスが来ないのはイタリアだけでなく、日本だってありうることなのだが、しかし知らない土地の外国、しかもこれ一本きり。不安は募るばかりである。車の音に異常までの集中力を注ぎ、待つのだ。汗が滴る。すると向こうから一台の青いバスがやってきた。あれだと思い、手を振って待つと、なんとバスは逆の道に曲がって走り去ろうとするではないか。あわてて追っかけるとようやくバスは停まった。息を切らしながら運転手に、これはサクサ・ルーブラ行きか?と聞くと、彼はそうだと答えた。
その後バスは湖に沿って走り出すが、帰りのバスを無事つかまえられたと思ったら、なんか笑いがこみ上げてきてだいぶ気持ちが落ち着いてきた。しかし、バスに乗っていて電線の鉄塔とか見ると、だいぶ日本のとは形が違うなぁ。こっちのはロボットみたいな形だ。
さて、その日はローマに5時ごろ帰ってきたのだが、もうすでにクタクタだったのでホテルに直行して帰った。

そして、最終日にはバチカンの博物館に朝早く行ったのだが、またもやここでも列。並んでいて暇だったので、近くにいた日本人の人に話しかけてみたら、なんと彼は自分の実家の隣の市でレストランのシェフをしている人だったのだ。地球は狭いなといって、お互い笑ってしまった。そういえばヒデオさんも日本にいたときは、自分の隣町に住んでいたし、ホント地球は狭いや。
さてバチカン博物館ですが、やはりすごいです。レオナルド・ダ・ビンチの未完成の作品聖ヒエロニムスや、ラファエッロの間、やはり圧巻はシスティーナ礼拝堂最後の審判やその他のミケランジェロの絵ですね。上を見上げると見たことのある画面がいくつもあって首が疲れるほど見上げていました。しかしこれを見るのは小型の双眼鏡でも欲しいところだな。
その後は、コロッセオの近くのフォロ・ロマーノというローマ時代の廃墟群に行くのですが、ぶっ倒れそうな日差しです。仕方が無いので写真だけでも撮ろうかと考えましたが、どうもその上のパラティーノの丘はもっとすごそうです。しかしそこに入るには10ユーロの入場料が必要なのです。しかもコロッセオの入場券まで付いてきます。昨日、コロッセオは入るほどでもないかと判断した自分としては、少し決断に迷います。しかししばらく考えて、入ることにしました。入って少し奥に行くと、そこには昔の競技場が見下ろせる構造になっていて、見下ろすと中には草がたくさん生えていて廃墟好きにはたまらない光景が広がっていました。しかし下には降りません。もし降りて真ん中に立ってみたら、もっと感動的なんだろうけど、そしたらきっと観光客に踏み荒らされて草が無くなってしまうのだろうな。一人だけ降りたいというのは虫が良い話しすぎますね。
そして、その後はコロッセオを見て帰りました。イヤー疲れた、えっ?コロッセオですか?暑くて特に感想は思い浮かばなかったです。
そして最後に、帰りにペルージャ駅で俺に英語で、今夜の泊まる宿はどこにある?住所の紙を見せて聞く間抜けな外人がいたというオチがつきました。言っていることは良く分からなかったけど、最近は勘がすごく良くなってるから、ホテルか?と聞くとそのようなものと言ってました。仕方が無いので、そこのバスのオフィスで聞いてくれと言いました。とっさに英語が浮かばなかったので、全部イタリア語で言ったのだけど、なんか分かってたみたいです。言葉が通じなくても、状況的勘でお互い通じるもんですね。

さて今回のまとめとしては、夏のローマには行くべきではないですな。でも念願の航空博物館には行けてよかったです。今度はトリノの自動車博物館か、それ見たら日本に帰るかな・・・・・・・・嘘ですよ、多分。


てな訳で、ローマ行った話を載せてみました。今週末はどこも行かないで、久しぶりに家でおとなしくしてます。しかしこの前のブログの文章はひどいな。やる気ゼロなのが見え見えですね。
さて、今月の学校ですが、流暢に日本語が話せる台湾人や、会社がつぶれてやってきた日本人の人など、一気に日本語率が高まってイタリア語を忘れてしまいそうな勢いです。しかし来月にはトリノに行かなくてはいけないし、ああ恐ろしや恐ろしや。
ちなみに今日はクイーンのウェンズリーライブのDVDなんぞ、安かったので買ってみました。これ前にBSで見たことあるのだけど、フレディーがおかしな踊りしていて楽しんだな。来週はまたどっか行こうと思ってます。