あけましておめでとうございます。去年の年末は、30日まで抜き差しならぬ予定が入って、ミケーレからのクリスマスの誘いも断って、学校が終わった冬休みから一週間休みなしに、家でしこしこ絵を描いてました(今や、パソコンをいじって?)。


それで、30日に仕事を終わらせてから、ミラノのミケーレの家に行って、翌日にリミニから来たジュリオとミラノ中央駅で昼の11時ごろ合流してから、車でアンドレアの実家トレントに男三匹バカ騒ぎ旅となりました。まあ、電車でアンドレアの実家トレントに行けば5、6時間といったところなのですけど、車で高速道路を突っ走れば3時間半といったところです。ちなみにイタリアの高速道路の制限時速は130kmです。

まあしかし、イタリア人の旅すさまじく賑やかです。道の看板を見れば騒ぐし、女の人を見れば騒ぐし、寒空の中バイクに乗っている人を見れば騒ぐしと、よくコメディー映画で見るイタリア人の早口で大げさにしゃべりますが、あれはけして大げさでなく本当なのだと思いました。しかし意外なのは、普段は冷静クールなジュリオがミケーレの前だと、かなりはしゃぐのが驚きでした。

ミラノから高速道路に入った車は、ロンバルディア平原を東に、ベルガモ、ブレーシャ、ヴェローナと通り過ぎ、ヴィチェンツァあたりから高速を降りて北東に進路をとり、一路山道をアンドレアの住む、トレントの山奥ロンコに向かいます。

四国の山奥のような渓谷を過ぎて、午後4時ごろアンドレアの家の近くに着くと、Bar(カフェ)の前で待っててくれというので、車の外に出てみると恐ろしく寒いです。車の温度計は−3℃をさしてました。そこで三人で凍えていると、アンドレアの車ホンダ黒のシビック(ヤンキー仕様)がやってきました。もう十五年落ちのシビックなのですが、ボディー下がエアロパーツで固められ、ホイールアーチとタイヤの隙間が、ほとんど無いくらい車高が落とされています。ちなみにアンドレアの従兄弟アモスはカメレオンカラーのVWポロに乗っていて、これまたタイヤの隙間に指が入らないほどの車高ダウン、もう一人の従兄弟ダビデに至ってはAPEの三輪車べスパカー50ccを150ccのエンジンに載せ変え、他人に新車より高く売るというメカニックぶりです。どうやらこの地方は山奥で娯楽が少ない分、走り屋気質が強くなるのか、それともドイツに近くてその影響を受けるのか、男はみんな車気違いばかりです。

そんなこんなで、着いたその日がすでに31日だったので、荷物を置いてからアンドレ家の山小屋に行ってみると、アンドレの友達たちがすで一杯やって出来上がっていて、ビール、グラッパ(40℃ほどの蒸留酒)ブルーベリー、蜂蜜、バナナ、ビャクシンの四種類を飲んで食べたら、死にました。どうも俺の記憶は最後のカウントダウンあたりで消えています。あとトレンティーノトレント人)が故郷の歌とかをみんなで歌っていたのは覚えてます。ちなみにアンドレアは翌日4回ほど吐いたらしいです。
(この歌も歌ってました。アインプロージットEin Prositですね)


それでその後、山小屋で寝袋をかぶって過ごし、翌日は初日の出も見逃して11時ごろ起きると、目の覚めるような快晴で向こうにドロミテ渓谷の山々が見えました。しかし今年のトレントは雪が積もって無く、北国の冬としてはおかしいなものです。アンドレア曰く、「雪の無い冬なんて、ここ十何年も見たことが無い」といってました。どうも寒すぎるらしく、寒すぎると雪が降らないらしいです。

そのあとの日は、スキーでもしようかと考えていたのですけど、ミケーレとジュリオが初心者で、試験前に利き腕でも折ったらと言うことで、見送って結局だらだらした寝正月となってしまいましたが、一回だけジョージ・クルーニーも来たという山奥の郷土料理屋に行きました。しかし、昼間にアンドレの家で昼食を食べすぎたせいか全部は食べられなく、それに比べて隣ではミケーレがジャムの一滴も残さずスプーンで嘗め尽くしていて、それを見たジュリオが「豚め」と呟きまして、オーナーは「あんた、そのジャム気に入ったの?うちで作ったんだよ」と言うと、ミケーレは「いや、不味すぎる」と言いながら、「あとでこのまずいジャム買って帰れる?」と言って、二つ買って帰りました。


トレントで3泊4日して、3日の夜にはトリノに帰ってきたのですけど、相変わらずこっちも寒いです。帰り道に通ったベルガモなんか雪が積もってましたから。

そんな訳で正月はもう終わりで、また明日から忙しくなりそうです。8日には鬼教師ブリグーリオのプレゼンテーションが控えておりますがな。まだ何一つ手をつけていない。