2015年8月8日から16日まで休暇を取り、イタリア人の友人ミケーレの実家プーリア州のバーリに遊びに行くことになりました。場所的にはイタリアのかかとの付け根辺りになります。
日にちごとに分けて、日記形式でここに書きます。


8/8日、出発。富山→羽田→
富山空港を夕方18時にANA便で出発。

羽田で乗り換えエールフランスの受付で搭乗手続きをしたら、持っているお金をほとんどユーロに両替して出国手続き、免税エリアで夜飯に六厘舎のつけ麺を食べたら、出発までぶらぶらして待つ。23時にパリに向け、羽田を出発。


8/9日、到着、早速トラブル。→パリ→ローマ→バーリ
12時間以上というハードな移動を終え朝4時半にパリに到着。次は7時にローマに向けて出発だが、朝早すぎて空港内の店がほとんどやっていないので、椅子に座って何もせず出発を待つ。Wi-Fiが使えるので、暇つぶしにiPhoneよりfacebookに書き込む。7時にローマに向けパリを出発、今度の飛行機はアリタリアだった。


朝9時にローマに到着。
14時半のバーリ行きに乗り換えだが、荷物受け取り場でスーツケースを待っていたが、いつまでも来ない。周りを見ると同じ便で来たと思われる他の日本人の方々も荷物が来なかった様子。みんなぞろぞろとアリタリアの荷物受け取り場の受付カウンターに向かうので、自分もついていく。
並んでるオバさんたちに話しかけるとやっぱり荷物が届いていないのだそうだ。4年前にエールフランスを使ったときは4日遅れで荷物が届いたとも言うから、旅慣れている人たちらしいが、それを聞いてエールフランスの信用度がガタ落ちである。
十人ぐらい日本人がいる中で一人の女の人がめちゃくちゃイタリア語が話せているようなので、その人にも話しかけて情報収集。どうやら荷物は次の便で来るが、ここで待っているかそれとも滞在先に送ってもらうか決めなくてはいけないらしい。ちなみにこの女性もエールフランス乗り換え便では良く起こることだと言っていた、エールフランスのイタリア便は鬼門らしい。
受付のイタリア人と話すと荷物を待っていると乗り換えのバーリ行きに乗るのが難しくなるというので、荷物はミケーレの家に送ってもらおうと思った。しかし、ミケーレの家の住所が分からないし、電話しても繋がらないので、あとで受付からミケーレの電話番号に連絡してもらうようにした。
オバさんたちは空港で待つことにしたらしい。
受付からはアリタリア特製のお泊まりポーチセットをもらった。中にはTシャツと歯ブラシセットなどが入っていた。荷物が届くまでこれでしのいでくれとの意味らしい。


早くも疲れた、乗り換えの次の飛行機までに何か昼ごはんを食べようかと思ったが、空港内の出発ロビーに飲食店があまり見つからない。唯一バールがあるが人でごった返していて、座れずにカプレーゼを食べる。というか、バカンスシーズンで空港内は人が溢れかえっている。


バーリ行きの搭乗口に行くと何となく南イタリア人で溢れかえっているような雰囲気があり、まだ受付時間前なのに列を作っている人たちを見ると何となく不安にかられて自分も並んで待つことにした。ここから先は何が起きても不思議ではない気がしてくるのである。手持ちのリュックにも気を配る。
14時半、定刻通りバーリに向けてローマを出発、もう一度アリタリアである。
前の席に三人日本人の女性が座っていた。特に話しかけるわけでもないが、一人の40代の人はバリバリイタリア語を話す、格好も日本人ぽくないところを見ると現地の人と結婚して、今回はお姉さんとその娘をイタリアに招待したのでは?と想像してみる。日本人女性の現地への順応性の高さはいつもすごいと思う。

15時半に無事にバーリ空港に着くとミケーレと奥さんのジャーダさんが息子ジュリオを連れて待っていた。新婚旅行に日本に来て以来、3年ぶりの再会である。
ミケーレにスーツケースのことを伝えると、とりあえず空港の窓口に問い合わせようと言うので行く。窓口には先客がいてイタリア人のおじさんが一緒にいるインド人の荷物について問合わせているようだった。ミケーレいわく、あのインド人はもう一週間も荷物を待っている、と言う言葉を聞きイタリアに来た気分になる。
結局、荷物はバーリ空港に届けてもらうようにして届いたら取りに行くことにした。ミケーレは、家に届くようにしたら余計手間取って受け取りが遅れる恐れがある、とのこと。ここは南イタリアだぜ?とミケーレは言った。
荷物は既にローマに着き、明日の昼頃の便で届く予定のとのこと。


空港を出て車でミケーレの実家に行くと、ミケーレの父親カルメロと母親スンタが待っていた。7年ぶりの再会。
この家は父親の故郷に老後用に買ったもので、この地方伝統の建築トゥルッリ付きである。これから5泊、自分は離れのトゥルッリに寝ることとなる。


お父さんはもう退職して年金生活だが、お母さんはまだミラノでクリーニング屋をやっている。今は夏季休業で7月から8月までここで過ごすらしい。
ミケーレたちは数日前にここに着き2週間弱いるらしい。バカンス休暇は3週間だそうだ。
荷物を置くと、スンタがお腹減っているか?と言うので、うんと言うと、パルミジャーナ ディ メランザーナと言うものを出してくれた。なすとチーズ(パルミジャーノとモッツレラ)をトマトソースに絡めて小麦粉と卵で固めて、揚げて焼いたものらしい。タルトのようでもあるが、料理の知識は皆無なのでテキトーなことを言ってはいけない。ナス好きには堪らない。

その後、プーリア名物のパンツェロッティという揚げパンの話になり、これは是非とも食べていかなければいけないとの話になったので、買いにバーリの中心街プティニャーノへミケーレたちと車で行く。
プティニャーノはよくある丘の上にあるようなイタリアの街であり、上へ行けば行くほど中心広場に近くなる。
パンツェロッティが売っているパスティッチェリアに行って人数分買うと、今度は地元の友達と会うが良いか?と言うので、バールに行く。
バールではミケーレが小さい頃夏によく遊んだ幼馴染マリアが旦那と子供を連れてやってきた。よく喋る人でほとんど彼女が喋り倒してみんな聞いていた。人はとても良さそうだが。対照的に旦那は落ち着いた寡黙な人だった。

家に帰ると、夕食となった。みんなでさっき買ったパンツェロッティを食べる。半月上の揚げパンにトマトソースやモッツァレラチーズが入っている、まわりはサクサクなかはトローリ、カルツォーネを揚げたようなものだ。
他に魚のグリルとワインを飲んで、寝た。
8/10に続く。。。