先週末は、金曜の夜学校が終わった後にミケーレと一緒に実家のミラノに行きました。ミケーレの家は正月以来なのですけど、久しぶりに会った家族たちは相変わらずドがつくほど親切で、大変お世話になりました。


金曜は22時にトリノを出たので、ミラノの中央駅までは2時間、そこからミラノ郊外にあるミケーレの実家に着いたのはかなり遅く、寝たのは2時ぐらいでした。土曜は昼ごろノソノソ起きて、ミケーレの母ちゃんの手料理をたらふく食った後に、少しばかりミケーレの住んでいるところを案内してもらいました。

ミケーレの親父さんも一緒だったのですけど、「盆栽園があるから、まずそこに行こう」というので行くと、驚いたことに盆栽園の中には灯篭や盆栽用の鉢植えがたくさん並んでいて、テニスコートほどのハウスの中には、鉢に入った盆栽たちがところ狭しと並んでいました。ミケーレの親父さん(カルメーロさん)は盆栽が趣味なのですけど、「見てみな、この値段」と言い高さ20cmほどの盆栽を見ると、400ユーロ(6万4000円ほど)と書いてありました。そのほかにも色々見ていくと1000ユーロ(約16万円)や3000ユーロ(約48万円)、果ては7000ユーロ(約112万円)なんて物まであって、俺とミケーレは目を白黒させて見ていました。7000ユーロほどまで来ると100年ぐらいは経っているそうで、もちろん日本から輸入した物だそうです。イタリアで作った盆栽もあるのですが、やはり本場日本で作った盆栽のほうが高いらしく、値段も同じぐらいの大きさなのに(種類は違うのですが)日本種のほうが高かったです。鉢植えにしてもイタリア製は焼きが甘いのか、気温が低過ぎると割れてしまうそうで、日本製のほうが良いといってました。剪定用の鋏にしても同じようです。そんなこんなで、盆栽なんかより車のほうが大事なミケーレは「親父!盆栽を大量に輸入して一儲けしようぜ!それで車を買うんだ!」と言っていましたが、親父さんのほうは趣味以上のことをやる気はなく、ウンとは言いませんでした。

その日の夜は、ミケーレの友達ステファーノが誕生日でメシを一緒に食べるというので、ああ、初対面のイタリア人としゃべるのは憂鬱だなと思いついていくと、みんな驚くほど感じが良く、話していることは半分も分からなかったけど一緒に飯を食っていても全然窮屈じゃなかったです。ステファーノの乗っているバイクはカワサキのニンジャだそうで、働いている会社も日本の測量機器の代理店だそうです。それで最後のほうにやっとみんなとしゃべれるようになったのだけど、女の子たちは日本のマンガが好きらしく高橋留美子のマンガや、GTOの話などを楽しそうにしていました。最近はNANAを読んでいるそうです。

その後みんなと別れてミケーレと一緒に車で帰ると「みんながどれほど日本のことを知りたいか、分かったか?」と言ってましたが、確かにバイクに車に漫画と、みんな日本のことばかりでした。


日曜は昼ごろに、ミケーレの友達のフィリピン人ハルビ(?良く聞き取れなかったです)が遊びに来て、ミケーレの母ちゃんスンタの手料理を一緒に食べました。フィリピン人と言ってもミケーレの高校の友達で、もう9年もイタリアにいるから喋りも性格も完璧にイタリア人です。彼もホンダのCBRに乗っていて、仕事も柔道着や空手着など日本武道系の物を売る店で働いているそうです。ちなみにミケーレの母ちゃんは、来た人がいっぱい食べると喜ぶ典型的なイタリア人ママで、昼からリゾット、骨付き肉、海老をたらふく食べました。食後のコーヒーまで断らず頂くと「こういうのが、あたしは好き」と満足するのです。そういえばなんとなく顔も、宮崎駿の描く湯婆々やドーラに似ているなとも思いました。

昼食の後、ミラノ近くのモンツァというところのサーキットで、フェラーリのイベントがあるので行ったのですが、そこで二人の日本人(多分)を見ました。イベントは歴代のフェラーリのF1カーが走ったり、市販車フェラーリの走行があったりと、そこらじゅう金持ちだらけなんじゃないかと思うイベントなのですが、パドックで見たF1のドライバーに日本人が一人いました。ミケーレは「日本人だから挨拶したらどうだ?」というのですが、なんとなく海外であらためて日本人です、と挨拶するのも恥ずかしいなと思ってしまい、遠慮してしまいました。あとでミケーレは「F1のオーナーの日本人と知り合う機会だから、悪いことじゃないか」というのですが、ホントにいつもイタリアで初対面の日本人にはどう接していいのか迷います。

その後、ミケーレが「これから良いところに連れて行ってやる」というので、サーキットの森の奥のほうに入っていくと崖となっているところがあり、下のほうには昔のコースのカーブがありました。降りてみるとサーキットのカーブというよりは、でっかいボブスレーのコースなんじゃないかと思うくらい傾斜が高く、上に登るのも一苦労なほどです。ミケーレいわく、当時はかなり危険なコースだったらしく、頂上のガードレールを突き破って、向こう側の森の木に当たって死んだドライバーは、かなり居たそうです。ちなみに一番最初の写真がその魔のカーブで、こっちを見ているのがミケーレ、上半身裸で向こうを向いているのがハルビです。


今すでにイタリアの遺跡と化したサーキットのカーブでひとしきり遊んで、パドックのほうに戻るって来ると、驚いたことbar(カフェ)の前に昔のホンダのバイクCB 400Fourが停まっていて、芸術的に斜めに流れるような排気管を持つ俺一番好きなタイプでした。それでオーナーに断って写真を撮ろうと思ったのですけど、呼びかけてみるともう八十になるのではないかというイタリア人のおじいちゃんが「いいよ、いいよ」と言っていました。そうして俺が写真を撮っていると、おじいちゃんがやってきて「それじゃあ、位置が良くないだろう」と言い、排気管が良く見えるように位置を直してくれました。じいちゃんは「1960年代、こっちにこのホンダのバイクが来てから、ノートン、BSA、MVアグスタ、その他すべてのバイクが太刀打ちできなかったんだよ」と語りながらエンジンのかけて、「まだまだ一万回転も回るさ」と言いました。

その後、1960年代遠い国からやってきた日本のバイクがサーキットで活躍するのを想像して、今でも大切に乗っているイタリア人がそれを誇らしげに自慢するのだから、これぞモータサイクルロマンだなと思い、ずっと感慨に浸っていました。今考えると、じいちゃんの写真も一緒にとっておけば良かったと悔やまれます。


しかし、フェラーリに乗っている日本人には声を掛けず、日本車に乗っているイタリア人には声を掛けるのだから、俺はナショナリストだと冗談でミケーレには言っておいたのですが、今度機会があったら、恥ずかしからず声を掛けるようにしたいと思います。イタリア中どんな場所でも日本人に声をかける必要はないと思いますが、この時の場合は声をかけてもいい場面だったと思います。



今回の週末は、イタリアにいるのにひどく日本を近くに感じた週末で、ミケーレが日本に来たがる理由も分かるような気がしました。そんな訳で今年の夏はミケーレと一緒に、日本に里帰りということになっているのですが、どうなるやら。しかし鈴鹿はちょっと遠いから無理だけど、ホンダの茂木サーキットは連れて行ってやりたいな。そうすればヤツも友達に良い土産話ができるだろうに。


ちなみに最近このブログを読んでいる人は、俺がさぞイタリア語をしゃべれるようになったように思えるかもしれませんが、本当はあまり通じてません。最近になってやっとクラスの親しくなったイタリア人たちが、俺のヘンテコイタリア語を理解するようになってきて、その辺あたりは通じているようです。そうなると彼らの友達のイタリア人に会ったときに、俺がヘンテコイタリア語をしゃべりクラスメートのイタリア人が分かりやすく通訳するというシステムが出来上がっていて、なかなか面白いやら情けないやらと思う日々でもあります。