街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

何年間にいっぺん、本を読みたくなる性分が出てきますが、ブックオフで見つけた大量の「街道を行く」の文庫を全て買い漁って読んでいます。
今読んでいるのは、十津川編です。
十津川は大学の頃、バイクで奈良の吉野から高野山、十津川を経て、熊野とツーリングをしたので、景色を思い出しながら読んでいて面白いです。


街道を行くとは、司馬遼太郎が編集者たちと選んだ場所に行き、その地にまつわる歴史などをエッセイに書くという本ですが、特に読んでいて面白かったのは、司馬遼太郎が大学時代に戦争に行く直前に吉野から入って十津川を縦断して熊野まで行くということをやっていたという件でした。
当時は、バイクで気楽にツーリングなんて大学生じゃないから、徒歩です。
しかもこの先死ぬかもしれないから、全然我々と立場が違います。
その件の最後の方に、夜中にたどり着いた家の納屋に入り込み、翌朝そこは寺だったので住職に見つかり、朝飯を振舞ってもらう(十津川は米があまり取れず、しかも戦時中なので、今考えると相当な振る舞いだったと司馬遼太郎は書いています)とのことがありましたが、そのお寺を探そうということになり、何十年ぶりかにたずねることになります。
そして司馬遼太郎の記憶から土地の人が案内したお寺に行くのですが、そこは浄土宗のお寺でした。そこで司馬遼太郎は愕然とするのですね、彼が記憶しているお寺は禅宗だったのです。
それで、「そのお寺は禅宗です」と言うと、土地の人は「あ、それならダムに沈みました」と言われるのです。
そして、その住職も今は亡くなったとのことでした。


確かに十津川をツーリングしていた時にいくつかのダムを見ましたが、今思い出すとその中には沈んだ村があったのだなぁと思うと、記憶がより強く残るようです。
高校や大学で、自転車バイクと色々旅してみたけど、今になって本でその場所を思い出せると、行っといて良かったなぁと思いました。
宮本常一の本で、父親に若いときに旅はたくさんしておけ、と言う話があったような気がするけど、行っとくもんですね。